母の日・父の日

 5月10日は「母の日」でした。「父の日」は6月21日だそうです。
 その由来を調べてみました。

「母の日」の由来
 アメリカ合衆国とアメリカ連合国で争われた南北戦争(1861年~1865年)の最中、負傷兵の救護や衛生管理を行うため、「母の仕事の日」と銘打ち、敵味方を問わず地域の女性を結束させたアン・ジャービスという女性活動家がいました。

 

 そのアン・ジャービスの死から2年経った1907年5月12日。娘のアンナ・ジャービスが、母アンが生前に日曜学校の教師をしていたという教会で記念会を開催、その際、母が大好きだったという白いカーネーションを祭壇に掲げたと言われています。

 

 この行為がアメリカ全土に広がりを見せ、1914年、当時のウイルソン大統領が、5月の第2日曜を「母の日」として国民の祝日に制定しました。

 亡き母に白いカーネーションを贈ったアンナの行為を受け、後に「母が他界している場合は白いカーネーション」「母が健在であれば赤いカーネーション」を胸に飾るようになったと言われ、それがやがて、「母の日にはカーネーションを贈る」という習慣へ変化していったと言われています。

 

 なお日本では、明治末期から大正にかけて広まったとされ、昭和初期から戦後しばらくの間は、当時の皇后(香淳皇后)の誕生日3月6日が「母の日」とされていました。

 

 その後、1937年(昭和12年)5月8日に、森永製菓が第1回「森永母の日大会」(下記)を開催。1949年(昭和24年)頃からはアメリカに倣い、5月の第2日曜に行われるようになったようです。

 

「父の日」の由来
 起源としては「母の日」が先で、その影響を受け「父の日」が始まったと言われています。

 アメリカに、ソノラ・スマート・ドッド(ジョン・ブルース・ドッド夫人)という女性がいました。彼女の父ウィリアムは、母の死後、男手1つで彼女を含む6人の子どもを育ててくれました。そして父は、子ども達6人が全員成人するのを見届けた後、亡くなったと言われています。

 

 そして時は、母の日の起源とされる「アンナが母の記念会を開催した年」の2年後、1909年。ドッド夫人は父の死後、父の誕生月であった6月に、教会に依頼して礼拝を行ってもらいます。

 

 以降、アメリカ国内で既に始まっていた「母の日」を受け、ドッド夫人は「父の日」の制定を牧師協会などへ懇願。1916年には当時の大統領が教会を訪れ、演説を行ったことから「父の日」が広がりを見せ、「母の日」同様、やがてアメリカ全土に知れ渡るようになり、1972年には正式な祝日として制定されました。

 

 ドッド夫人が、父の墓前に白いバラを供えたことから、「父の日」の花はバラとされており、「母の日」と同じく「父が他界している場合は白いバラ」「父が健在であれば赤いバラ」を身に付けるようになったと言われています。

 

 なお日本では、昭和25年(1950年)頃から徐々に広がりを見せ、現在のような一般的な行事として認知されるようになったのは、1980年代と言われています。

 

【 参考サイト:ウィキペディア「母の日」「父の日」、語源由来辞典「母の日」「父の日」

 

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