大工・左官

 先日、テレビで大工さんと左官さんの名前の由来をやっていました。すごい歴史があるようです。私の中学生の頃、その時代、手に職を付けると食いはぐれが無いと言われ、中学を出るとすぐ、大工や左官の弟子に入って修行をし、私が就職した頃には一人前になり、すごい金を稼いでいた記憶があります。そういう時代は終わったのですかね。、

 大工さんと左官さんの由来はすごい歴史があるようです。

 

『大工職人の由来』
「大工」というのが、職業の呼び名として愛着を持って呼ばれ親しまれるようになったのは、江戸時代後期になってからのことです。大工という語は、「大匠」と書いて 「おおたくみ」と呼ばれた官職名である。と7世紀の資料にあるのを見ても、その語源は木工技術の渡来した、漢の時代にさかのぼり、知ることが出来るようです。律令の制定により国家の建設業を担当した役所は、木工寮というところでした。

 

 その役所の担当した技術職の職制は、大工(おおきたくみ)、少工(すないたくみ・すくなたくみ)、長上工(ちょうじょうこう)、番上工(ばんじょうこう)の4職課に分かれており、行政事務官の役付は、頭(かしら)、助(すけ)、充(じょう)、属(さかん)の4等級から成っており大工、少工は各一人づつの担当次官の関係であったようです。
長官と次官は常に役所にいて設計などに従事して現場も管理していたようです。

 

左官の語源
 これは、律令制度が敷かれていた時代の官位の一つなのです。
 律令制度には、四等官制度が敷かれており、 トップが『長官かみ』、以下『次官すけ』、『判官じょう』そして最下位が『佐官さかん』でした。

 

 佐官とは、『官を佐たすける』という意味で、当時は各役所によって様々な字を当てていました。
 そのなかで、宮中の修理の時の壁塗り職人を木工寮(現在の国土交通省のようなもの)の 『左官』に任じ、出入りを許可したのがその名の由来です。
 つまり、『左官』は立派な官位の名と言うわけですが、これがいつしか職業名に転じ、現在に至っているのです。

 

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