卵の歴史

 日本に鶏は約2500年前、中国から朝鮮半島を経由して伝えられています。
 古事記には、天の岩戸に隠れた天照大神の記述の中に、長鳴鳥=鶏を集めて鳴かしたとありますし、同書の垂仁条では本牟津別王のために鳥取部・鳥養部(鳥養は鳥飼・鳥貝とも記載されている)を定めたとあります。

 

 雄略天皇の頃には鳥飼部という養鶏専業の民が存在し、日本での養鶏が古くから行なわれていたことを伺い知ることができます。

 

 この当時、鶏肉は食用に、鶏卵は食膳や薬として利用されていました。
 しかし、675年に「牛馬犬猿鶏の肉を喰う無かれ、犯すものあれば罰する」という布告が天武天皇により出され、730年には「殺生禁断の令」が聖武天皇により出され、畜肉を食べる風習はなくなりました。

 

 一般的に、タマゴを食べるようになったのは、江戸時代に入ってからのことで、タマゴ売りも出てきましたが、まだまだ庶民には手の届かない特別な栄養食で高嶺の華といえる存在だったようです。

 

 いまでは、どこの家庭の冷蔵庫にも常備されているタマゴも、そうなったのは昭和30年以降のことです。この時代は食生活に対する日本人の意識が大きく転換し栄養改善普及運動も盛んになり、食生活の欧米化が一気に促されて、数々の栄養素の中でもタンパク質やカルシウムが重要視され、肉・卵・牛乳・乳製品を積極的に食べることが推奨されました。
 その時に、「タンパク質が足りないよ」をキャッチフレーズに、特にもてはやされたのがタマゴでした。

 

 「巨人・大鵬・タマゴ焼き」と子供に人気があるものの代表として称されたり、風邪気味になるとタマゴ酒、疲れた時には栄養ドリンク代わりの生タマゴ、遠足行楽旅行には欠かせないゆでタマゴ、温泉地名物の温泉タマゴ・・・・タマゴこそ健康の象徴、タマゴを食べていれば健康になれる、と信じて疑わない人が大勢いました。
 揚げ句に「ラン(卵)パク質」などという言葉まで登場した事にも、その時代を伺い知る事ができます。

 

 歴史的にも永く愛され続けてきたタマゴは、栄養価も高く、価格変動も少ない私達にとって最も身近な食材の一つです。

 

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