ちょっといい話

 昨日(9月18日)19時から3時間番組「こんな所に日本人」と言う番組がありました。
 その中で「真琴つばさ」さんがブラジルに日本人探しに行きました。探す相手は元日本代表デフェンダーの「闘莉王」選手のおばあさんでした。

 富山県で生まれた田中マルクス闘莉王さんの祖母で一世の田中照子さんは、わずか5歳の時に日本からブラジルに移住したそうです。現在田中照子さんは90歳です。ご両親と兄・姉・弟の6人家族でブラジルへ渡られました。
 ブラジル最大の都市・サンパウロの北西約650キロに位置する南マットグロッソ州にほど近い聖州で人口1万人ほどの小さな町「パウメイラ・ド・オエスチ」に2009年4月に91歳で亡くなった夫・義行さん(広島県出身)と共に住むようになって現在で64年目を迎えます。

 両親とブラジルへ渡った当初は、泥の家に住み奴隷のような生活だったそうです。子どもの時から山に行き生活のため早くから働き教育は受けれなかったそうです。読み書きは家に帰って独学で学びました。
 成人して広島県出身の義幸さんと結婚して7人の子供をもうけました。生活は困窮し食べる者にも困る中でも子供は全て学校に行かせました。1人亡くなりましたが、後の子どもは全て立派に育っています。(弁護士・医者・教師等)この事を感謝と誇りに思っていますと話しておられました。

 家庭教育では、主人の義幸さんが、「日本人としての誇りを捨てて手はいけない。大和魂・大和撫子でなくてはいけない」と厳しく教えたそうです。
 テレビでは90歳の照子さんは声がしっかりし、感謝の言葉を盛んに使いかくしゃくとしていました。5歳で日本を出た女性がすごく日本的な女性だと感じ感激しました。

田中マルクス闘莉王
 闘莉王は、見た目とは違って日本語が全く分からないところから日本語を覚えて適応して、日本代表になるまで大変な努力を重ねました。
 その努力の原動力となったのは、移民の苦労を重ねて自分たちのルーツを作ってくれた祖父母への想いで祖父母の苦労に比べれば自分の苦労なんて大したことないし祖父母を誇りに思っています。

 高校時代から頭角を現した田中マルクス闘莉王選手が卒業後に選んだのも祖父の出身地である広島のチームサンフレッチェ広島でした。

 300人の留学生候補から闘莉王を選んだ渋谷幕張高校サッカー部の監督はこのように語っています。
  「この祖母に育てられたのなら、この子は間違いなく成功する」
 「あのお祖母さんを見て、育ってきた家庭環境がすぐ分かった」

 この環境で育った田中マルクス闘莉王選手の代表の時のニックネームは「サムライ闘莉王」、「闘将」などでした。解るような気がします。

 

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