登呂の遺跡

 8月23日の朝、散歩で「登呂の遺跡」(静岡市)まで歩きました。ホテルから約40分でした。市のど真ん中に弥生時代の遺跡が有ります。感動しました。

登呂遺跡
 太平洋戦争中の1943年に軍事工場を建設するために工事が行われていた最中に発見された遺跡だと言われ、戦争が終わったあとの1947年に本格的な発掘調査が行われました。

 登呂遺跡の発掘にあたっては、考古学者や地質学者、人類学者などのさまざまな分野の専門家たちが集まって調査が行われ、その結果、この場所になんと8万平方メートルにも及ぶ水田跡や、竪穴式住居の跡、さらには高床式倉庫の跡が発見されました。

 特に、水田や高床式倉庫は稲作を特長づける存在として貴重で、弥生時代を特徴づけるものとして有名です。また、その後の掘調査で登呂遺跡の一部が1999年から5年がかりで復元され、現在は登呂公園となっています。

 登呂遺跡の最大の特長は、発掘で発見された巨大な8万平方メートルもの水田跡が再現されている点にあります。一般的に石器時代やそれに次ぐ縄文時代では、狩猟や木の実の採取などによって暮らしていたと言われていますが、中国から稲作、すなわち米を作る文化がつたわった弥生時代からは、日本全国で水田が設けられ、米が主食となりました。

 登呂遺跡はそんな米文化を日本に根付かせた弥生時代の水田遺跡として再現されています。こうした水田と同時に弥生時代の遺跡の象徴となるのが高床式倉庫です。高床式倉庫とは、その名前の通り地面から柱で床を上げている建造物のことです。

 水害などが多い東南アジアでは住居用として用いられていますが、弥生時代にはネズミなどから内部に蓄えてある稲やとうもろこし、小麦などを守るために使用されていました。この高床式倉庫は、本格的な稲作が広まった弥生時代を象徴する倉として2棟復元されています。

登呂公園

住居と高床式倉庫

 

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