防災とボランティアの日

 昨日(1月17日)は 「防災とボランティアの日」でした。これは 平成7年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が起き、それを受けて1995(平成7)年12月の閣議で制定されました。
 この災害ではボランティアが活躍し、1995年は日本の「ボランティア元年」と言われています。。

 

 私はその当時、48歳で広島県立工業高校の体育の教員をしていました。その時間親子2代のハスキー犬を連れて散歩をしていました。散歩は何時も5時過ぎから行っていました。
 その日よく覚えているのは、5時45分頃、東の空(大阪方面)がピカピカと何度も光りました。何だろうと思いながら家に帰りテレビを点けて驚きました。高速道路は斜めに倒れ掛かっているし、倒壊したビルは映し出される状況で大変なことが起きたと思いました。

 

 この震災で「自助・共助・公助」と言う言葉を使い始めました。
 「自力で」「家族に」などの自助による救助は約67%、「友人・隣人に」などの共助が約30%、救急や自衛隊などによる公助は2%にも満たない割合であったとのことでした。
 阪神・淡路大震災では、被害が大きすぎて救急などが対応しきれないばかりか、道路の寸断等により現場にたどり着けないという状態だったそうです。
 いかに自助が重要か、いかに隣近所の共助が頼りになるかがわかると思います。災害時にどの力がどれくらいの割合で必要になるか、一般的に言われている割合は次のようになりました。

     自助:共助:公助=7:2:1

 長野県北部地震は、同年11月22日(土)22時8分頃、長野県北安曇郡白馬村を震源として発生しました。この時、白馬村では共助のシステムが出来ており住民同士が助け合い一人も死者を出しませんでした。

 

 今年は広島市でも8,20豪雨災害を機に「自主防災会」の見直しを行うという機運が出ています。私の住んでいる沼田地区でも平成11年の6,29災害の後「自主防災会」がそれぞれの地区に出来、年1回の「防災訓練」をしておられます。長い年月が経つうちに惰性に流されていたという反省から見直しを図られています。

 

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