幻の広浜線

 日曜日に浜田市役所で、久保田市長と話をした時、「今浜田市は「幻の広浜線」を観光化するための調査をしています。広浜線は島根側は買い付けも済み、トンネルもあります。それを観光資源として使い浜田市の観光の目玉としたい」と言っておられました。
 そこで「広浜線」について調べてみました。最初は広島県側は戸河内・湯来・戸山・西風新都・横川と言う路線でしたが、後に三段峡・可部線に変わったようです。今はそれもありません。

 国鉄今福線
 1922、4、11 予定線(改正鉄道敷設法94項「広島県広島附近ヨリ加計ヲ経テ島根県浜田附近ニ至ル鉄道」)
 1933、4    可部~加計間、浜田(下府)~今福間の工事着工が認可され工事が開始。

 1962、3、29 調査線
 1964、6、25 工事線
 1969、7、27 可部線が三段峡まで開業
 1969、12   浜田~今福間工事認可
 1974、4    三段峡~今福間工事認可
 1980      工事中止

 1980      工事中止

 

 1882年、有識者たちが浜田町と広島市及び関係町村間で陰陽を結ぶ鉄道敷設運動をはじめました。
 1896年7月島根県から出願された「芸石鉄道」計画は128キロで広島~可部~上根~有田~新庄~下田~矢上~日貫~浜田のルートで、広浜鉄道より東のルートでした。

 これに対抗し広島県側の加計地方で出願した「広浜鉄道」は92キロで広島~久地(可部を通らない)~加計~戸河内~雄鹿原~波佐~浜田のルートでした。

 芸石鉄道が1899年に仮免許を受けました。しかし日清戦後の不景気で実現出来ませんでした。
 広浜鉄道はこの時は却下されました。
 
 1901年12月広浜鉄道株式会社を設立し私設鉄道敷設を政府に請願しました。
  1919年地方鉄道建設予定線が選出された。この中に「広島市ヨリ加計町ヲ経テ浜田町ニ達スル線」がありました。

 1920年に広島県から出願された「広島市横川を起点トシ、加計を経テ浜田町ニ達スル」私設鉄道敷設願は建設計画に着手しましたが、中央の政情により頓挫してしまいました。
 
 1921年9月広島県太田、広島、三條、島根県浜田で広浜鉄道期成同盟会が発足し、上京し陳情をしました。
 1922年4月11日公布の改正鉄道敷設法で「広島県広島附近ヨリ加計ヲ経テ島根県浜田附近ニ至ル鉄道」が規定されました。
 1923年広浜鉄道測量班が測量を開始した。関東大震災のための緊縮財政でしばらく停滞していたが、
 1927年2月閣議において広島~本郷間を浜田~今福間を着工線に決定しましたが、浜口内閣の緊縮財政により、たびたび繰り下げられました。

 1931年広島県側で広島電気株式会社が「広浜鉄道株式会社」を創立、横川~可部間を譲渡した。 
 1933年4月可部~加計間、浜田(下府)~今福間の工事着工が認可され工事が開始された。広島側では1933年9月に横川~可部間を国鉄が買収し、1936年10月に飯室まで開業しました。

 

 島根側での工事は第1工区下府~宇野(有福)間、第2工区有福~宇津井間、第3工区宇津井~佐野上間、第4工区佐野上~今福間で行われた。下府~今福間15.6キロはほぼ完成しましたが、1940年9月に工事は中止となった。駅予定地にはレールとマクラギが積まれていたが、軍需物資に転用されました。。

            (インターネット廃線鉄道寮HP)引用

        この図のような路線だったようです。赤い線が可部線です。

 

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