あれから50年

 今日は10月10日です。50年前の今日、東京オリンピックは幕を開けました。私は18歳で高校3年生でした。ようやくテレビが普及し、テレビにかじりついてオリンピックを見たのを思い出します。(1959年(昭和34年)に23.6%だった普及率は1964年(昭和39年)には87.8%に達した)

 

 半世紀たちました。聖火の最終ランナーの坂井義則さんも先日亡くなりました。(広島への原爆投下の日の1945年8月6日に広島県三次市で生まれ、陸上選手であり、その平和の象徴として選ばれました)

 

 1兆円を超える血税が注ぎこまれ、「先進国なみ」を目標として進められた突貫工事で、東京は急速に変貌を遂げました。

 都心の風景を道路は大きく変えました。まだまだ泥道が当たり前の時代に、2つのメーン会場をつなぐ青山通りは拡幅され、環状7号線の交差点には立体交差も登場しました。

 

 大会直前の10月1日には、東海道新幹線も開業しました。当初、故障が多く、不安視されたものの、あれだけ高速で、極めて緊密なダイヤを組みながら、時間に正確で、何よりも今に至るまで死亡事故ゼロという実績は、間違いなく世界に誇れるものです。

 

 また、観光客を受け入れるべく、部屋数不足が叫ばれた宿泊施設も建設ラッシュに沸きました。日本を舞台とした『007は二度死ぬ』(1967)で、ジェームズ・ボンドの敵となる日本人ビジネスマンのオフィスも、そんな時代に建てられた豪華ホテルの1つ、ホテルニューオータニでした。

 広々としたロビー、複数のレストランとバー、大ホールをも備える新規格の豪華ホテルは、のちに火災で多くの犠牲者を出してしまうホテル・ニュージャパンなど、ほかにも数多く建てられました。


 現在は台風18号が先週通過し、19号が日本をうかがっています。50年前も、上陸時の中心気圧が940ヘクトパスカル、72.3メートルもの最大瞬間風速を記録した大型台風20号が、9月終盤、日本を縦断しました。一時、オリンピックへの影響も心配されました。

 その一方で、この年は、「東京砂漠」「東京大渇水」などと呼ばれるほどに、水不足にも悩まされ、6月にM7.5の地震が発生した新潟では、液状化現象も起きていました。

 

 このように前回の東京オリンピックは東京を日本を変えました。次の2020年の東京オリンピック・パラリンピックが6年後に迫っています。2020年には私は74歳になっています!!!日本はどのように変わっているのでしょうか?

 

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