銀メダリスト 竹内智香

 一昨日(5月26日)ANAクラウンホテル広島で広島ビルメンテナンス協会の総会が有りその後、特別講演会として、ソチオリンピック銀メダリスト「竹内智香」選手の講演会がありました。講演はトーク形式で行われ対談者は元RCCアナウンサー、FM放送副社長の「川島宏治」さんでした。

 

 川島宏治さんの絶妙な話で竹内智香さんも楽しそうに話をされました。
 子供の頃はお父さんの影響を受けて小学校の卒業文集に「夢はオリンピック」と書いたそうです。(父は馬術でオリンピックを目指しましたが実現できませんでした。6年生の時スノーボートと出会い、14歳の時、長野オリンピックのスノーボートを見て本格的に競技を始めたそうです。競技人口が少なくすぐに日本では一流選手になったそうですが世界で通用する選手になるためスイスチームに懇願して夏2か月帯同を許してもらってそれが現在まで続いているそうです。(スイスではベビーシッターや家政婦のような仕事をしていたそうです)

 そしてスイスでNO1となりオリンピックのメダルが見え始めたと言っておられました。また、フィリップスコーチとの出会いも大きかったと言っておられました。印象に残った言葉は「技術・体力が同じなら気持ちが大事」「神様はサイコロを振らない」「これからは後輩のために環境作りを行う」でした。約1時間半の講演会はあっという間に過ぎるくらい楽しい話でした。
 
竹内 智香 プロフィール:
 生年月日  :1983年12月21日
 出身地   :北海道旭川市
 国内活動拠点:東京(国立スポーツ科学センタ−)
 海外活動拠点:スイス(zurich)
 スノーボード歴:17年
 身長:165cm
 体重:62kg
 所属:広島ガス

 日本では支援企業の少ないマイナー競技であり、当時はまだ「スノーボード選手のイメージが悪い」と言う理由から企業10社以上から断られるなどあったため無所属となったが、同年、縁のある広島県山県郡北広島町での「ワールドスノーボードフェスティバル」(やわたハイランド191リゾート)を自ら企画奔走、広島ホームテレビが竹内の支援に名乗り出て、同年9月から同局に契約社員として入社した。同イベントは、競技を通じて知り合った五輪メダリストを含む約30人の外国人選手らが自費で参加し、2011年2月、2012年2月と二回開催された。2011年10月には「企業イメージの向上につながる」と注目した広島ガスと所属契約を結び、同社は竹内のためにスキー部を創部しました。

 

本人自筆
 北海道旭川市で生まれ、自然に囲まれながら育ちました。2歳からスキーを始め、12歳の時に父と一緒にスノーボードに出会い始めました。そして14歳の時に長野オリンピックを見て、アルペンスノーボードの魅力に惹かれ本格的に競技活動を始めました。16歳からナショナルチームに入りワールドカップを転戦するものの、世界との差を常に感じトップに行く事の難しさを感じました。23歳の時に「もう通用しないのでは?」と夢を諦めかけましたが、最後の挑戦と思い、強豪国であるスイスに行く事を決めました。スイス代表と交渉しレース、トレーニングに帯同させてもらえることになりました。アルペン文化のあるヨーロッパでは日本にないものが多くあり、毎日が新鮮な状態で多くの事を学びました。23歳から28歳までスイスで生活をし、活動しました。今はその5年間の経験と日本人としての誇りを持てたことで、より世界を近くに感じることができ、始めて世界とトップを目指すことが現実的な目標になっています。


 

川島宏治さんと竹内智香さん

 

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