自由の女神像

 昨日(1月22日)、藤林徳扇先生の次男の方とお会いしました。

 昨年の4月30日にギャラリー丸栄の古川栄治社長に招待され「十二代 藤林徳扇」先生の作品展示会に行きました。その藤林徳扇先生が、昨年12月広島で心臓発作で亡くなりました。

 藤林徳扇先生は広島に対する思い入れが深く、最後の仕事として大きな平和の女神像を広島に建てたい。原爆と言う大変な事があった広島にどうしても実現させたい。これが実現すれば、世界中から広島へ人が訪れる。と言っておられたそうです。

 このような考えを持つようになった理由は、第2次世界大戦で外国で抑留され絞首刑になるという日に終戦となったそうです。1年間抑留され日本に帰ってきたのが大竹港だったそうです。そして原爆に会ったヒロシマを見て、この原爆の被害にあったヒロシマが有って自分は生きているという事を実感されたそうです。その後、制作活動をする中で、どうしても広島に恩返しをしたいと思うようになり、テーマであった「母への愛」を元に、広島に「平和の女神像」を建てたいと言っておられました。

 

 その思いを受けて徳扇先生の次男の方が広島市とその事で話をしたいと言われ、昨日、副市長に会っていただきました。(藤林徳也ーハワイ大学で染色を教えている方)

 広島に父の言っていた100m位の高さの「自由の女神像」を作りたい。また、広島市で父が息を引き取ったのも父の思いだと思う。その側にユネスコ美術館も併設したいと言われました。費用はユネスコ関係の企業家から集め、広島市からは土地だけ用意して欲しいと言われました。

 

 突然の話ですので副市長は目を白黒させていました。すぐには返事が出来ないので市長に報告します。という事になりましたが、具体性が無いので、その「自由の女神像」の絵は出来上がっているので最後の仕上げをして広島市に寄贈するという事になりました。その事が有ってから両者で考えて行こうという事になりました。

 

 ちなみに12代藤林徳扇先生の絵は、1号(はがき1枚)の評価格は1150万円だそうです。


十二代 藤林徳扇(ふじばやし とくせん)
 海外のアーティストにも影響を与えたとも言われる日本が誇る伝統芸術「琳派」の継承者であると共に、「ユネスコ・グリーティング・カード・アーティスト」(異例の連続選出)としても世界的に有名な日本伝統工芸作家です。着物はもとより彼が創作する「徳扇コスモ・アート」作品は、生地やキャンバスにプラチナを使用し、デザインはダイヤモンドやエメラルド等の五大宝石で描かれており、その独自性と優雅にして永遠に格調を保った作品であると海外で称賛され、世界の一流品カタログである「GOLD BOOK」に日本ブランドで唯一掲載されたり、公開・非公開を含め世界の数十カ国に収蔵される等、世界の評価は揺るぎないものとなっております。

 

 「藤林徳扇」とは、延宝8年、琳派の発祥の地として有名な京都市北区鷹ヶ峰にある旧藤林町(現鷹峯藤林町)にて、初代徳扇が宮内庁御用達の錦の御旗の織り商として創業以来、300有余年代々名を継承し、現在の十二代に至っています。

 十二代藤林徳扇は、「優雅・格調・貴品」を創作の理念とし、デザイン・コンセプトは、「世界平和への祈願」。特にユネスコ・パリ本部から選出されて以来、彼は世界への発信を主眼に置いて、海外の著名人との交流が活動の中心となっておりました。
 

 

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