箱根駅伝

 正月2日・3日と箱根駅伝が例年通り行われ30年ぶりに日本体育大学が総合優勝を果たしました。関東地区の平均視聴率は、往路の2日が29.1%、復路の3日が27.9%だったことが4日、ビデオリサーチの調べで分かりました。歴代3位の高視聴率だったそうです。(関西地区の平均視聴率は2日が15.1%、3日が15.4%。)

 

 日本体育大学は昨年(88回大会)では、19位で繰り上げ出発が有りタスキが途切れました。その結果を受けて別府監督は選手時代、日体大は学生だけでチームを運営していた。だから「最上級生がしっかりしないと強いチームにならない」と選手に繰り返していました。しかし、当時3年の谷永、福士らが区間2ケタ順位と力を発揮できず、史上最悪の19位に沈みました。そこで主将の座を区間2位の走りをした1学年下の服部に決めました。最上級生は翻意を期待したが、指揮官は「お前らじゃ力不足だ」と突き放しました。埼玉栄高では服部の先輩で、主将も務めた高柳は「何も言い返せなかった」と黙るしか有りませんでした。

 

 4年の奮起を促すための方針でもありましたが、当初は受け入れられず、別府監督に「主将を4年にしてほしい」と直談判しました。しかし「力不足」と却下され、言い返す言葉もありませんでした。4年だけで集まり「見返していこう」と誓い合い、「『個人が頑張らない』といけないと自覚を持った」と谷永選手は言っていました。
 1週間の冬休みをはさんで、再び現4年生17人が集まり「絶対に見返してやろう」と決めた。悔しさを忘れないように、タスキを合宿所の食堂の額縁に掲げた。夏場には多くの選手が1200キロ以上の走り込みで力を蓄えた。すると、例年わずかの選手しかできなかった速いペースの練習や距離走に、主力の多くが対応できるようになりました。その努力の中で手応えを感じました。そして、主将としてチームをまとめようとする服部の努力を見て、高柳ら4年生は「自分たちは結果を出すことで支えよう」とまとまりました。予選会トップ通過、全日本大学駅伝で4位となり、自信と勢いが芽生えました。

 

 前日の往路優勝は、3年以下の走りでつかんだ勝利。復路は4年が7、8、10区にエントリーされ、3人は「出られなかった4年の分まで頑張ろう」と臨みました。体調不良で補欠に回った4年の福士も、自ら出場選手の付き添いを申し出てサポート役を果たしました。

 この日、4年の3人は全員が区間2位の好走。各区間で「実力が上」とされた東洋大のタイムを上回り、リードを広げました。「監督に『4年生のおかげで勝った』と言わせたかった」と高柳。心身ともに強くなった最上級生が、最後の箱根で悔しさを喜びに変えて見せました。

 

 この日体大の快挙は組織の在り方について大きな提言をしていると思います。組織を変えるには指導者の今までとは違う組織論を持ち、英断するしかないと思います。
 カープの長い間の低迷。何か大きな気持ちを変える指導法、指導者の手腕が問われています。
 広島市の組織の在り方、市長の指導者としての手腕が問われる年です。この箱根駅伝でこのようなことを感じました。

 

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