君が代

 昨日(7月6日)会派控室で先輩議員が「君が代」の2番3番を知っているか?と聞かれ誰もわかりませんでした。そこで調べてみました。調べてみると、2番3番どころか第1の曲から第3の曲までありました。
 
君が代のルーツは平安時代に編纂された「古今和歌集」の和歌で読人しらずです。

原文は
 わが君は、千世に八千代に さざれ石の、いはほとなりて、苔のむすまで
 

 君とはここでは天皇陛下ではなく、敬愛する人を指し、敬愛する人のご長寿を祈る歌でした。
 鎌倉時代には「わが君」が転じて「君が代」と歌われるようになりました。

 明治時代、開国した日本は外交儀礼として国歌はかかせないということで、1870年、君が代を国歌として制定しました。

次に示すのが君が代の1~3番です。
 1,君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりてこけのむすまで(詠み人知らず)

 2,君が代は ちひろの底のさざれ石の うのゐる磯と現はるゝまで(源三位頼政)

 3,君が代は 千代ともさゝじ天の戸や いづる月日のかぎりなければ(皇太后宮太夫俊成)
 
  これは実際に歌われていた(明治21年4月25日発布)ものですが、国歌としてではなく何と「保育唱歌」だったのです。後にこの君が代という保育唱歌の一番だけを国歌として取り敢えず歌うことになった(明治26年8月12日)ようですが、とにかく諸説(それぞれが都合の良いように)ありました。

 

次に第1の曲から第3の曲です。
・第1の君が代 - 1869年(明治2年)
  イギリス公使間護衛隊歩兵大隊の軍楽隊隊長「ジョン=ウィリアム・フェントン」が日本の国歌が存在しないことを知り作曲。歌詞は薩摩琵琶の「蓬莱山」が採用された。

・第2の君が代 - 1879年(明治12年)
  フェントンの洋風の作曲は、当時の日本人にはあまり評価されず海軍省は宮内省にふさわしい軍楽曲を作ってほしいと要請。ドイツ人エッケルトが雅楽調をとり入れて新しく作曲。現在の国歌です。

・第3の君が代 - 1880年(明治13年)
  「第二の君が代」は天皇奉祝の歌にすぎないとし文部省が作曲。作曲者は不明。学校の唱歌でしたが西洋の音を日本の音に置き換えた為、メロディーが馴染まず広まることなく忘れ去られていったそうです。


 

 

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